2023年5月28日日曜日

未分類の視点






 はなやかで今的な東京の風景も、勿論素晴らしいと思います。 しかし、後々の歴史書には表現できないかもしれない風景にも,引き付けられてしまいます。

そんなJijiiが見た風景です。 スカイツリーにはまだ負けていませんよ! 約8km北方から見た夜の東京タワー。

2023年5月26日金曜日

そして高橋至時と



忠敬の墓の隣には、彼の師であった「高橋至時」の墓があります。 20歳ほど年の差がある師弟同士。 忠敬が望んで隣に葬られたそうで、若くして亡くなった年下の高橋至時先生とは、学問以上のつながりがあったんでしょう。 合掌。


そして、シーボルト事件で獄死した至時の息子さんの「高橋景保」の墓も並んでおり、その隣には、徳富蘇峰たちによる頌徳碑もあります。

しかし、当時の日本にとってのシーボルトとはなんだったのでしょうか。 沢山の日本の資料や情報を集め、結果的にはそれによって富と名声を得て,それに協力した日本の若者たちの意味は。 医者としてのシーボルトは、手術が下手だったとの証言もあるようですが。  
非業の人生になってしまった景保さんに合掌。

蛇足ですが、この墓地には谷文晁と幡隋院長兵衛の墓もありました。
 

2023年5月25日木曜日

東上野 源空寺へ





 ランチの後は食後の運動がてら東上野方面へ、源空寺にある「伊能忠敬墓」を目指します。

墓地は、道路をはさんだ本堂の反対側にありました。伊能忠敬の墓石にも細かく撰文が刻まれています。

文化9年(1812)に忠敬が九州福岡藩での測量時、青柳種信が案内役を務め知的な会話が持たれたらしいですが、当然 志賀島の金印のことも話題になったでしょう。 それらの内容がどのようなものだったのか興味がわいてきます。

そして忠敬は、先に紹介した蒲生君平とは十数年ほど同時代人でもあります。 お互い学者としての視座は異なっていますが、接点は有ったのか無かったのか。 勘解由先生に合掌。

2023年5月24日水曜日

ディープなランチ



その後は、ディープな所にある江戸料理を売りにしている小さな店で、待ち合わせていた家族と一緒に贅沢なランチをいただきました。 グルメじゃない私には少々場違いだったかも。
 

2023年5月23日火曜日

徳川慶喜公墓所






 臨江寺を出て、日暮里駅方面へ戻るためにぶらぶらと歩いていくと、谷中霊園前で徳川慶喜公墓所の案内板が目に入ったので寄ってみました。 さすがの十五代将軍の墓所です。

2023年5月22日月曜日

再訪 蒲生君平墓







 東京に所用があったのでその合間に、小雨降る台東区谷中の臨江寺にある「蒲生君平墓」へお参りしてきました。

前回は、寺の入り口にある石碑を墓と勘違いしてお参りしてきてしまったため、今回の再訪です。  さほど広くはない墓地でしたが、あちこちと探し回ってしまいました。    墓石の四面には、親交のあった藤田幽谷の撰文が、びっしりと刻まれていました。合掌。

2023年5月18日木曜日

柏原の歴史


 大阪府柏原市教育委員会の柏原市立歴史館より「柏原の歴史 2」古墳時代 を送っていただきました。  玉手山古墳群、松岳山古墳群、高井田山古墳などについての注目の内容です。

2023年5月17日水曜日

那珂市の円墳群と


             国土地理院の傾斜量図を借用しています。

画像の上の方は、常陸太田市の島町と小島町で、T教授が提唱する久慈古墳群があります。 

ここには梵天山古墳を筆頭に3基の前期前方後円墳があり、巨大な円墳である高山塚古墳と、それに準ずる阿弥陀塚古墳があります。

久慈川をはさんだ対岸には、先に紹介した径40m級の円墳群が(赤矢印)、長く伸びる丘陵の右端から、おはぐろ塚古墳、鈴照山塚古墳、稲荷様古墳とまるで久慈古墳群を見下ろすように築かれています。 現状は、樹林に遮られお互いは視認できない状況ですが、これらの円墳群の築造時期などの詳細な内容は不明となっています。 そして、注目の遺跡である森戸遺跡とは、この付近から東へ直線で約2・5kmほどの距離にあり,各々の築造された時期が異なっていても、それらの残余が全く霧散霧消したとは思えない注目の立地だと思っています。

現在、常陸太田市教育委員会の試掘調査が、中野冨士山古墳、高山塚古墳、梵天山古墳で行われ、星神社古墳と阿弥陀塚古墳では測量調査が実施されていて、それなりに研究が進展している状況だと思います。

これらと同じような調査研究が那珂市の古墳群でも実施していただくと、ワタシ的にはとてもうれしいんですけど。 生物としての先が見えてきた年寄りの願望なんです。

2023年5月16日火曜日

那珂市の円墳 稲荷様古墳



 那珂市にある鈴照山塚古墳から、西へ400mほど行ったところにある「稲荷様古墳」。

先に紹介した古墳も含めて、古墳の規模は目測です。 10年ほど前に、某所でこれらの古墳の簡易計測のデータを見たことがありましたが、あえて素人目線ですけど目測で表示しています。

この古墳は、径40m弱ほどの円墳で、相変わらず篠竹に覆われているため観察が困難です。 頂部には稲荷様をまつる祠があるはず。

2023年5月15日月曜日

那珂市の円墳 鈴照山塚古墳




 那珂市門部にあるおはぐろ塚古墳から、西へ600mほどの所にある「鈴照山塚古墳(れいしょうやまつかこふん)」。 径40mほどの円墳。 ここも藪が元気です。

頂部にあるお墓は、佐竹マークだらけです。

2023年5月13日土曜日

那珂市の円墳 おはぐろ塚古墳




 那珂市門部にある「おはぐろ塚古墳」。 径40mほどの円墳となっていて、頂部に羽黒神社があります。 以前にも紹介していますが、東方向に舌状に伸びる丘陵東端、木崎小学校の東南隣に位置しています。

藪化進行中と言う状況になっていて、墳丘に立ち入る勇気がでませんでした。

2023年5月11日木曜日

梅津会館から星神社古墳へ



常陸太田市の鯨ヶ丘へ行くと鯉のぼりが出迎えてくれました。 今日は梅津会館で開催されている企画展「学校150年の歩み」を拝見してきました。 後期の7月14日から開催の金砂郷地区の展示も楽しみです。



そして、ご無沙汰の星神社古墳へ。 しばらくぶりの田植え風景を拝見しました.
過去の家族総出の田植え風景とは・・・・・。まあ、時代の変化を考えさせられます。


 

2023年5月8日月曜日

星神社古墳の景観



 最近は常陸太田市への出勤をさぼっているので、なかなか星神社古墳の逆さ古墳を見ることが出来ていません。

これは、2010年の4月25日と5月2日との星神社古墳です。

水田に水が張られ、そして水が澄んで風が無いときに見ることが出来ます。

2023年5月6日土曜日

2012年5月12日の中野冨士山古墳




2007年頃から、古墳を見て写真を撮るようになりました。 そんな画像が沢山たまっていて、過去の画像を見返していたら、懐かしい中野冨士山古墳の画像がありました。

上段画像の右側には、天明四年銘が刻まれている祠が写っていて、真ん中の画像には三角点があります。 いずれも後円部の画像です。
これらは、古墳を発見してから3ヶ月後の画像ですね。