2021年4月28日水曜日

桜井市のおみやげ



 ちょっと古い話ですけど、2011年の1月に奈良県の天理市、桜井市の主に前期の古墳を見に行ってきました。その時、桜井市立埋蔵文化財センターで購入してきたガイドマップとB5版の案内本です。今は改訂されバージョンアップしているようですが、古墳を中心に桜井市を歩くのには最適なパンフレットです。 マニアック的にはホケノ山古墳に造られた横穴式石室も載っています。

こんなパンフレットを常陸太田市も用意していく必要があるでしょうね。それだけ重要な意味ある遺跡が有るわけですから。

2021年4月24日土曜日

真弓神社へ




活動するにはちょうどいい季節です。中国コロナウィルスの影響が及ばない所へ行こうと、風神山から真弓神社へと歩いてみました。 神社へは小学生の時に行ったきりで、たぶん60年ぶりぐらいだと思います。 当時のことは断片的記憶しかないので、新鮮な気持ちで歩けましたが、間抜けなことにカメラの電池切れで、画像は4枚だけです。


2021年4月21日水曜日

いい日々



常陸太田市小島町にある「星神社古墳」。 周辺の田んぼに水が導入され始めました。 いい日順調です。 ところが見たくも聞きたくもない世界のニュースは、きな臭い、暴力装置をちらつかせ、まるでヤクザ屋さんの世界。 あ~あ、やだやだ!!


 

2021年4月18日日曜日

常陸太田市花房町 青木を考えてみる




 スタンフォード大学が無料公開している地図を借用しています。 この地図は、明治38年測図、大正6年修正測図、昭和3年鉄道補入、昭和4年6月発行となっています。

地図上の赤丸は松栄町にある香仙寺で、境内には直牒洞(じきてつどう)があります。黄緑丸は、香仙寺北側に展開する横穴墓群の位置を示しています。黄色線は、この地区の「字」名です。

2段目画像は、直牒洞です。3月に調査報告書が刊行され、直牒洞中央窟は後世改変の大型横穴墓だと結論されています。

3段目画像は青木地区にある横穴墓群の内の1基です。

さて、この青木地区は2012年3月に私的調査を行い、民家の裏に3基のマウンドがあるのを確認しました。そのさい、地元の方達との会話からこの青木が「アオキ」ではなく「オオキ」と呼称されていることを確認しました。 その後、2018年に市教育委員会主導の分布調査が行われ、この地に多数の横穴墓があるのを確認しました。これには私も驚いたのですが、同時に「オオキ」の意味が気になっていました。(スタンフォード地図では「オーキ」となっているので、以下では「オーキ」を使用します。)

前置きが長くなってしまいましたが、地名と遺跡がリンクするとは限らないわけで、ましてや横穴墓が築造された時代と「オーキ」の字名がそのまま遺跡の意味を表すとは限らないのは自明のことでしょうが、こだわってみたいと思います。

まず、新編常陸国誌には、「花房として、下花房、本郷、薹坪、上町、下町、青城等の小名を有す」とあり、青木ではなく青城となっています。

その青木がどのような意味を持っているのか、私の妄想も含めて考えてみたいと思います。

青木ーーアオキが茨城弁特有に訛ってーーオーキになった。
大木ーーオオキーー巨木があったーーそのままオーキに。
大城ーーオオシロではなくーーオオキ大きな建物があったーーオーキ
奥津城ーーおくつきーーオーキ  などと妄想はこれくらいにして、いずれにしてもこの青木地区にある横穴墓群は、今後注目される存在になると思いますが、この地区の入り口的な位置にあるマウンドも注目する必要があるのかもしれません。

そして話は変わりますが、2018年に久米町を調査しているとき、地元の方の案内で久米城跡の東側に横穴墓群があることが分かりました。公的には新発見となるのでしょう。
こんな発見のあるのが常陸太田市です。

2021年4月14日水曜日

PSA


                                        Ma van vérvizsgálat napja.


                                        A  PSA értéke normális volt.
 

2021年4月7日水曜日

地形・景観から見てみる 小島町








 国土地理院の陰影起伏図を借用しています。

今回、常陸太田市小島町本郷地区にある鹿島神社地点を取りあげます。 画像上段の矢印地点が鹿島神社。 右に見える前方後円墳が梵天山古墳。 左に見える前方後円墳が星神社古墳です。 矢印地点はどうでしょう、不鮮明ですが円形に見えないでしょうか。 鹿島神社本殿の後ろにあるマウンドが、古墳の可能性があるのではと考えているのは私だけではなく、馬坂城跡整備で貢献されているK氏も「あそこは古墳じゃないの」との発言をしています。 画像二段目は、北側からこの地点を見たものです。5段目以降はそのマウンドです。
今後、何らかの方法で古墳か否かの調査が出来ればいいなと思っています。
そして、以前にも指摘しましたが、この地の「小島」は「こじま」ではなく「おじま」と読みます。これは、新編常陸国誌に「佐竹義篤ノ譲状二、久慈東郡大島トアルハ、此地ナリトイヘリ」とあり、梵天山古墳がある島町と、その西側にあるこの地が、時には大きな島に見える状況があったのかもしれません。



2021年4月3日土曜日

常陸太田散歩








徐々にではなく、一気に春が訪れたような今日この頃です。

相変わらず、中国コロナウィルスにほんろうされる毎日ですが、人出の無いところでも十分癒される場所は沢山あります。 鯨ヶ丘にあった「黄色いハンカチ」、某C国なぞ考えもしないだろう思いやりのハンカチ。 市民の心があふれている源氏川。 名所にある桜も。 そして、田植えに向けた作業も進行していました。