2021年11月30日火曜日

岩船神社から遠望してみる 2



 常陸太田市天神林町にある式内社の稲村神社。 祭神 饒速日命 天神様ほか八柱。    新編常陸国誌には、元は稲材(いなぎ)だったが、「材」の字と「村」の字が似ていたための誤って「稲村」と誤記され、それが定着してしまったとあります。

ひょっとすると紆余曲折の事柄が有るのかもしれません。 このあたりのことは、T先生にお会いする機会があればお聞きしてみたいと思います。
そして・・・。


2021年11月26日金曜日

岩船神社から遠望してみる 1






普段、常陸太田市 旧水府村を注視することはほとんどないが、たまたまグーグルマップで見ていると、山田川右岸の際、旧水府村西染245に「岩舩神社」があることに気が付いた。祭神はもちろん饒速日命で物部氏の遠祖とされている。なぜここにこの神社が。
水府村史をあたってみると、由詳 不詳となっている。 新編常陸国誌は岩船明神としてあるだけ。 この神社の北側には馬力神を含む石碑群があり、それなりの意味ある地点だったと想像されます。 そして、稲村神社もたしか饒速日命だったのではと思い出した。                                           
 

2021年11月20日土曜日

永別


1925年12月1日 ~ 2021年11月16日 午後0時32分 母永眠

2021年11月19日 11時より葬儀。

ここ数年の間に、友人知人の物故が続いています。
N君 すい臓がん、O君 糖尿病。 そして数日前、滋賀県大津市在住のI氏の奥様から、5月にご主人が永眠したとの便りをいただきました。

I氏とのつながりは、遠く昭和48年(1973年)までにさかのぼります。 昭和49年に開催される茨城国体の予行演習ともいうべき都道府県対抗自転車競技大会が、取手競輪場と周辺の道路とで開催されました。I氏も有力選手として参加し、当時3流選手だった私はそのお手伝の交通整理要員で参加していました。

画像は、106kmの距離で行われたロードレースのゴール前10kmほどの地点で撮影したものです。 集団から逃げだして3人でゴールに向かっている画像です。

画像の先頭は早稲田大学のO氏、二番目は知人の中京大学のI氏、三番目が法政大学のS氏。 ゴール勝負でS氏が優勝。 2位がI氏、3位がO氏となりました。

I氏は大学卒業後プロの選手になり、永く選手として活躍されました。 そして今から20年ほど前、この画像をパネルにしてI氏に差し上げるきっかけがあり、アマチュア時代の写真はほとんど持っていないというI氏は、とても喜んでくれました。

写真を差し上げた後は年賀状のやり取りのお付き合いが始まり、I氏とは直接会ったこともないし会話したこともない付き合いでしたが、同い年でもあり、同じ時代の同じ風景を共有できるものがあったんだろうと思います。 機会があれば、I氏とマニアックな自転車関連の話などできればいいなと思っていましたが 残念です。 ご冥福をお祈りいたします。

2021年11月15日月曜日

日立市森山町 吉田神社










 日立市森山町にある「吉田神社」。 6号国道から山側へ少し入った位置にあります。

創建が驚きの延暦14年(795)だということで見学してみました。 棟札が日立市指定歴史資料に登録されています。 日立市の歴史と文化財についても勉強しないといけませんね。

2021年11月11日木曜日

沈下橋付近からの風景 2







 竹瓦橋を東海村方面へ渡って堤防を越えてすぐのところに「香取神社」があります。

神社の周囲を木々が囲んでいる状況なので見つけにくいかもしれません。

まあ、香取と言う文字を見ると、三之分目大塚山古墳や鹿島神宮、千葉県と霞ヶ浦を流通路とする、古墳時代文化の交互の伝播とかが浮かんできてしまいますが、そんな名残がこの神社にもあるんでしょうか。

沈下橋付近からの風景 1








 県道358号線に架かる留大橋から少し上流にある沈下橋の「竹瓦橋」。この橋付近から周囲を見渡してみました。

この橋が架かる久慈川が日立市と東海村との境界になっていると思っていましたが、この付近は東海村の飛び地になっていて、この橋の両岸は東海村の領域なんですね。

日立市側を眺めてみれば、舟戸山古墳がある久慈町方面が見え(4段目画像)、少し左に視線を振れば地元企業の研究所と大甕神社方面が見えてきます。

そして、東海村方面は、すぐ近くに現状は木々に遮られ直視できませんが、別当山古墳や座応権現山古墳、石神城跡等があります。 視点を変えると、改めて新鮮な視線で見ることが出来ますね。

2021年11月6日土曜日

日立市茂宮町 熊野神社






 日立市茂宮町にある「熊野神社」。もとは久慈川の河川敷だったのではないのかなと言う立地にあるので見学に行ってみました。 常陸太田市の新地町にある神社と同じような、開拓農地に伴う神社なのでしょうか。 付近の畑は砂質の土のようでした。

2021年11月3日水曜日

投票日前日の梅津会館







 久しぶりに梅津会館を訪れてみると、市の職員の方達が忙しく作業されていて、思わず何かあるんですかと聞いてしまった。 明日の準備ですと答えられて 瞬時に理解できなかった。 期日前投票を終えていた私には、31日の投票日は眼中になかったのです。 認知機能が低下しているんでしょうね。

それはさておいて、そんなわけで常設展は見学できなくて、企画展の来迎院に伝来したとされる「木造如来形坐像」を拝見しました。 12世紀ごろに造られたそうで、常陸太田には何でもあると再認識いたしました。

ところで選挙結果ですが、理念を無視した政党となんでも当たり前と思っている政党との痛み分けなのではないでしょうか。 昔、何でも反対とか、成田空港建設反対をとなえていた議員が、議員を引退してから成田空港を利用して海外旅行を楽しんでいたり、外務大臣なのに、私は主婦ですと発言したのがいましたが、まあ、政治家ではなく、政治屋だったんでしょうね。 今回、まだローカルな存在ですがまともそうな野党が票を伸ばしました。本当にに、勉強してまともなことをやってくれよと言いたいです。