2021年2月25日木曜日

昨日の風景





 今日は所用があって私は休み。 昨日は少し寒かった。 島町の独立丘陵は小道が縦横に走っていて面白い。 オブジェにも見える農機具も有ったりする。 そして、コロナ対策のアルコールも。

2021年2月18日木曜日

視線を変えれば




 今日も常陸太田市島町にある高山塚古墳へ。 山田川に架かる橋の上からの高山塚古墳の眺め。 再び寒くなり霜柱が出迎えてくれた。 何気なく通りすすぎていたご近所の仮小屋に、古い脱穀機と思われる農具があった。これって、お宝じゃないの。 少し視線を変えれば見えてきたのに、去年は気が付かなかった。

2021年2月16日火曜日

今日の島町


今日の常陸太田市島町の高山塚古墳とその付近。 西からの強風にほんろうされる杉林のざわめきを聴きながらの活動になりました。 そして、目が痒くなりくしゃみも出て、そんな季節になってきました。
 

2021年2月13日土曜日

今年もご挨拶


常陸太田市島町の独立丘陵最西端ともいうべき地点にある「富士山塚古墳」。 円墳となっていますが、調査されていないので詳細不明。 段築がありそうに見えますが。 相変わらず綺麗に手入れされています。

2月12日の島町




2月12日の島町にある高山塚古墳とその周辺。 予定通りのようです。この古墳の測量調査は終わり、小島町にある星神社古墳の測量が始まっているようです。 なんでも他所との掛け持ちで行っているようで、M考測様ご苦労様です。
 

2021年2月10日水曜日

今年の始動



2月9日から常陸太田市島町へお邪魔している。昨日の風は寒かったが今日は過ごしやすい1日だった。 昨年からの顔なじみの方達と和気あいあいで「コト」に励んでいる。 高齢者にとっては強めの刺激ではあるが、まあ、秋に予定されている本番への体力強化だと解釈している。
 

2021年2月7日日曜日

大甕神社とその周辺











日立市大みか町にある大甕神社付近をグーグルマップで見ていたら、「大甕神社古宮」なる表示があり、どうやらそれに関する石碑があるらしい。 地元のことには不案内な私なので、石碑観察を含めて勉強方々周辺を歩いてみました。 大甕神社は入口が2か所あり、6号国道沿いと旧道側にもあります。(画像1段目、2段目)本殿は岩山の上にあり(画像5段目、6段目)なかなかスペシャルな感じがします。この神社の由緒はネットその他で見ていただくとして、肝心の古宮跡は神社から6号国道を隔てた50mほど坂を上がった所にありました。ここで風神山が登場します。その麓にあるのです。風神山へと登っていく道沿いにあるのですが、わき道を回っていけるはずなのに、行ってみるとロープが張ってあり進入禁止になっていました。しかたなく、藪に入って(画像7段目)いくと、ありました。ちょっと見にくいですが、石碑には「大甕山上陵墓有」なる文章がありました。気になりますね、どうなんでしょう。 神社のホームページによると、元禄8年(1695年)に光圀の命令により神社は現地に移されたとあります。 その他、旧道沿いに「泉川道標」がありました。(画像9段目)明和八年(1771年)に建てられたとあります。

さて、以下は私的意見と妄想の世界です。  日立方面から東海村方面へ、バイクか自転車で走行したことがある人は気が付いているはずですが、石名坂を下っていくと気温の違いに気が付きます。日立とくらべて、東海村、常陸太田市は夏暑く冬寒いのです。石名坂付近は福島県棚倉町まで続く棚倉断層が伸びているそうで、それを境に北と南では違う地層になっており、それが自然環境にも影響していることが想像されます。現実に大甕神社の本殿も5億年前のカンブリア紀の岩盤の上に立っているとなっています。 また、国道の山側や風神山の中腹にある企業の研究所付近を眺めてみれば、あちこちで岩盤が露出しています。
 
低地に河岸段丘、自然堤防などで構成されている東海村の河口部や常陸太田市の久慈川中流域から石名坂を上ってくると,海岸線からすぐに山が迫ってくる台地がずっと続いていく、所謂、異郷とも思える境界にあるのが、大甕神社であり風神山の峰なのではないでしょうか。 大袈裟いに言えば結界に在する関所的存在がゆえに、神社の由緒につながっていくのでは。 そう想定すると、やはり風神山は神名備の山と言えるのかもしれませんね。


2021年2月4日木曜日

風神山は神奈備山?







常陸太田市の 島町、小島町、中野町にある前期とされる3基の古墳の主軸はそれぞれ異なっていて、この統一の無さは何故なのか気になっているところです。 私が頻繁に訪れる星神社古墳の主軸、北東方向には常陸太田市と日立市との市境に「風神山」(2段目画像アンテナ地点)があります。私には、この古墳の後円部が風神山を仰いでいるように見えて仕方ありません。登ってみることにしました。 登ると言っても車でも登れてしまいます。

頂上付近はテレビなどの巨大アンテナ立っていて、公園にもなっています。 山と言うより稜線と言ったほうが正解だと思いますが、頂上付近からの眺望は木々が邪魔をしてあまりよくありません。(下段画像)

この山に、御岩神社がある御岩山のような神奈備山の痕跡があるのではと、淡い期待がありましたがこの状況では無理です。 古墳時代に神奈備山との宗教的概念が有ったのか。出雲国風土記には「神名火山」、「神名樋山」などと記述されているらしいですが、それ以前の時代のことはなかなか検証が困難なのかもしれません。

ところで、星神社古墳の主軸を多少アバウトではありますが、北東方向に、地図上で伸ばしていくと、風神山と真弓神社との中間付近を通るんですね。う~む。この仮説も妄想で終わりになるわけです。
 

2021年2月3日水曜日

お手伝い


 2月1日,2日とY氏と共に、S氏主導による某地点調査のお手伝いをしていた。興味深い遺構、遺物も出ている。