2017年4月23日日曜日

ある情報




2週間ほど前、城郭研究者の50Storm氏に教えていただいた情報をもとに常陸太田市東連地町にある「青蓮寺」に行ってきた。山田川右岸にあり対岸は芦間町、玉造町となる。その青蓮寺裏に古墳らしいモノがあった。ウサギ開けたとみられる穴が複数あり、対岸附近にも仮称森ノ宮古墳があるのでこの地にあっても不思議ではないと思う。

表と裏





常陸太田市にある「星神社古墳」の表と裏。どちらが表か裏かはわからないが、北側方面から見られることも十分に考慮されていると思う。そして「中野冨士山古墳」は、前方部方面以外を意識しているものと思う。

2017年4月14日金曜日

常陸太田市 天神林町





常陸太田市 天神林町。佐竹寺があることで知られていますが、別な意味で注目しています。

常陸大宮市 村田神社





常陸大宮市下村田にある村田神社。五所皇神社裏古墳から西方約1,2㎞地点にある。なかなか意味ありげな立地にあるんですね。

2017年4月9日日曜日

経年変化


今日は65歳になった記念にと、約10年ぶりに日立さくらロードレースのハーフマラソンに参加した。
残念なことに冷たい雨が降り続くレースになってしまったが、完走をはたした。
そして、過去に参加したレースを振り返って、今日までの私の体の経年変化を見てみよう。

1994年11月3日 栃木県黒磯市「さわやか高原マラソン」1時間24分18秒 42歳
2008年4月6日 日立市「日立さくらロード」 1時間52分25秒 56歳
2017年4月9日 日立市「日立さくらロード」 2時間02分16秒 65歳

走るコースも練習した内容も様々で大雑把なデータだが、確実に劣化(老化)しているのが見て取れる。走ってる本人も納得しながら走っていたのだ。

2017年4月5日水曜日

常陸太田市郷土博物館 企画展




常陸太田市にある梅津会館で開催されている企画展「発掘された常陸太田の歴史 市内遺跡出土の武器」を見てきた。 消滅してしまった入浄塚古墳の遺物を見ればなかなかの古墳だつたらしいし、岡田台遺跡から出た人骨と鉄鏃とは、生々しい局面を示しているらしい。今まで気付かなかったが、常設の展示パネルにも市で行っている文化財保存への取り組みが示されていて参考になった。

2017年3月31日金曜日

やっと出来た。

パソコンの不調などもあったが、やっとまとまった。

2017年3月26日日曜日

大洗町散策







昨日は、女房殿の誕生日の祝いを兼ねて、大洗町の散策と魚料理を娘がプレゼントしてくれた。
大洗の街中には、ガルパン目当ての若者達やそのコスプレの人達もいて、歴史ある町とのミスマッチがたのしめた。

2017年3月18日土曜日

常陸太田市 スロータウン鯨ヶ丘ひなまつり






常陸太田市の鯨ヶ丘で開催されている「ひなまつり」を拝見してきた。商店街の皆さんにも温かく迎えていただき、歴史あるひな人形の蘊蓄も拝聴させていただいた。ありがとうございました。

2017年3月12日日曜日

現地説明会と五所皇神社裏古墳




今日は、那珂市で発掘調査中の「下大賀遺跡」の現地説明会と、ひさしぶりの「五所皇神社裏古墳」を巡ってみた。およそ80名ほどの人達が参加した説明会、文字資料と合致する可能性がある遺構が出てきて今後の報告書が注目されます。そして、樹木が伐採されていて見通しが良くなっていた「五所皇神社裏古墳」から「下大賀遺跡」がある方面も見渡せます。

2017年3月2日木曜日

天理市 ヒエ塚古墳


2月19日に天理市萱生町にある「ヒエ塚古墳」の現地説明会が行われたようです。
画像は2011年1月に撮影したものですが、画面左側が後円部で、くびれ部には農道が通っている状況です。説明会時の資料によると、全長130m、後円部径70m、箸墓古墳類型の可能性を指摘しているようです。この付近は古いと思われる古墳の集中地帯でもあり、もう一度ゆっくりと巡ってみたいものです。

2017年3月1日水曜日

 イカㇻカㇻ


先週、県立歴史館へお邪魔して「 イカㇻカㇻ アイヌ刺繍の世界」を拝見してきた。
素晴らしい展示と素晴らしい内容の図録です。世界のどこで展示しても称賛される品々だと思いました。

2017年2月17日金曜日

冬眠してた






昨年末より寒さに負け怠けて、纏めるものもやる気があれば纏まるものを先延ばしにしておりましたが、もう少しで発表したいと思っているところです。今年初の活動は花粉の影響でくしゃみしながら時系列に、県北域嚆矢の前方後円墳の可能性が高い「星神社古墳」から(上段、二段目画像)。それに続く古墳とされる「梵天山古墳」(三段目画像)。さらにそれに続くとされる「中野冨士山古墳」。これら3基の古墳から中期前半の古墳とされる「高山塚古墳」へと時間軸がつながっていくのが見えてきているこの地域、それら各々が墳丘の規模、カタチ、埴輪も様々でまさしく一墳完結の様相が顕著なのだが、なぁ~んだ、今の世の流動的世相と同じじゃないかと思うのでした。