2022年11月22日火曜日

山田川から眺める 21






 東連地橋から上流へ向かって、直線距離で570mほどの所にある牛込橋付近。 この付近は松平町で、画像2段目の橋から北方面に向かってほぼ直線的に県道33号線が伸びていて、それは大子町方面とへ続いていきます。 下段画像の傾斜量図を参考にすると、蛇行する河川と付近の地形との成り立ちが見えてくるような気がします。

ここまで見てくると、久慈川近くの上河合町から山田川とほぼ平行に通っている、古代から続くこの道路の重要性が良く分かります。


2022年11月18日金曜日

壺の時代



 常陸大宮市歴史民俗資料館で開催されている -弥生時代、それは 「壺の時代」- を拝見してきました。

再葬墓発見の歴史として、調査の時系列に小野天神前遺跡から中台遺跡、泉坂下遺跡、宿尻遺跡の出土遺物が展示されていました。  再調査されている遺跡もあり、それらの遺物も見てみると、縄文晩期と弥生中期と十王台式とがありましたが、それらの間を埋める遺物が無いんですね。 素人の私にも分かり易い貴重な展示でした。

なお、展示の撮影はOKでしたが,SNSなどに公開するのは控えてくださいとのことでした。    

???!!。

2022年11月16日水曜日

11月16日の星神社古墳




 暖かい日が続いていますが、古墳の木々が色づいてきました。

2番穂も伸びてきて、お米が出来てるみたい。 美味しいか不味いかはともかく、二毛作もできそうな星神社古墳です。

2022年11月14日月曜日

赤いメスリ山古墳




 岸本教授のブログからと、橿原考古学研究所が公開した画像を拝借しています。

JR桜井駅から南方向へ、歩いて15~20分ほどでメスリ山古墳へたどり着けると思います。 古墳へたどり着く前の緩やかな斜面には住宅団地があって、古墳の周りは住民の方達のウォーキングコースになっているようです。 そう、団地の裏山と言う感じの古墳ですね。

この古墳から桜井茶臼山古墳まで、1,6kmほどしか離れていないんです。 築造時期に時間差があるとなっていますが、当然関係性はありますよね。 
また、これだけの古墳を間近に見られるのは、実にいいですね。

追記
この古墳の前方部は畑と言うか、家庭菜園的な状態に見えました。1月だったので、作物が植わっていなかったとも考えられますが、夏ミカンのような木がポツンポツンと有って実がなっていて、酸っぱくなくて美味しかった?(内緒の話)

2022年11月13日日曜日

赤い桜井茶臼山古墳



 両画像は大阪市立大学、岸本直文教授のブログから拝借しています。

以前は、桜井外山茶臼山古墳と長い名前だったんですけど、まあ、覚えやすくなりました。

最近目にする赤色立体地図ですが、なんか、生々しい感じがします。 前方部が開き気味になるということだそうで、箸墓に似ていると。 従来発表されていた築造順も、これで納得されていくのでしょうか。

10月、中野冨士山古墳の上で、T教授からこの古墳の丸太垣についての面白い「説」を拝聴しました。 ここに公表するわけにはいきませんが、有機質で飾り立てられた古墳を想像するのも有りかもしれません。

2022年11月11日金曜日

東京ぶらり 上野東照宮






 台東区上野にある 上野東照宮。

創建は1627年。  家康、吉宗、慶喜を祀っているそうです。

上野の戦争から、先の大戦でも戦火にあっていないという強運の東照宮です。

2022年11月10日木曜日

東京ぶらり 臨江寺





 谷中にある臨江寺。 創建は寛永七年(1630) 蒲生君平の墓があります。

古墳に興味のある方は、彼のことを当然ご承知のはず。

明和五年(1768)宇都宮生まれ~文化十年(1813)江戸で病没となっていて、経済的にも苦しく、若くして亡くなっているんですね。

臨江寺の入り口付近にあったこの墓石、どうやら明治に建てられた石碑のようです。本当の墓石は本堂の脇にあるらしいです。

後日機会があれば確認したいと思います。

2022年11月9日水曜日

東京ぶらり 瑞輪寺





 谷中にある瑞輪寺。 天正十九年(1591)創建。  家康とのつながりがあるため、葵の紋所になっています。

この寺へ来た目的は、沢野忠庵の墓所に詣でるためです。

私は、16世紀に鉄砲を伝えたとされるポルトガル商人を嚆矢として、その後、イタリア人、オランダ人、イギリス人などが来日しますが、宣教師が伝えた宗教以外の文化、彼らと共に来日した商人や船乗り、各技術保持者などが当時の日本に伝えたヨーロッパの文化について興味をもっています。

それでは彼、沢野忠庵の概略について書き出してみます。 彼の元の名前は、クリストヴァン・フェレイラ。1580年頃にポルトガル生まれ、イエズス会の宣教師として1609年に来日。 キリシタン禁教令のため1633年捕縛後拷問を受け棄教。 その後、幕府側の立場でキリシタンの取り締まりにあたる。 刑死した罪人の沢野姓とその家族を与えられる。 1650年11月4日死去。

その他、遠藤周作が彼をモデルの一人として小説「沈黙」書き、それを、マーティン・スコセッシが映画にしましたが、私は、小説は読まないし、映画もほとんど観ません。

彼は、有能な人物だったようで、日本語を使いこなし、幕命も有ったのでしょう、それらに沿った著作を残しています。 そして、医術も習得していて、複数の門弟を育成しており、その一人の杉本忠恵が娘婿となり、有能な南蛮外科医として幕医に取り立てられています。今日まで代々ご子孫が続いているようで、忠庵の医術者としてのDNAが継承されているのではないかと推察いたします。

杉本家の墓碑には「忠庵浄光先生 慶安三年十一月十一日」とあります。

最後に、プライベートな杉本家の墓碑を撮影し、当ブログに掲載したことをお許しください。

忠庵先生に 合唱。

2022年11月7日月曜日

東京ぶらり 神田明神付近





東京に住んでいる娘が遊びにおいでよと誘ってくれたので、二日間ほど遊んできました。

御茶ノ水駅は改良工事の真っ最中です。 聖橋の側にある娘の職場のビルを眺めてから、近くにある神田明神へ。

祭神は、大己貴命、少彦命、平将門命となっていて、創建は天平二年(730)だそうです。  結婚式も行われ、若い人もたくさんお参りしていました。
 

2022年11月1日火曜日

山田川から眺める 20






下平橋から600mほど上流にある東連地橋。 東連地町から上流方向は、旧水府村になります。 川の水はきれいで、そして、魚道が見えています。

周辺を見渡すと、柿の色は秋の色だとしみじみと思います。

茨城県遺跡地図の水府村部分を見てみると、古墳時代の遺跡は一か所だけで、弥生時代は無しとなっています。 それらを見ながら進んで行きましょう。