2013年4月30日火曜日

再度




昨日断念した花房町、国道293号線の南側に南北に連らなる丘陵の最高所は「旗塚」と呼ばれていたと地元の人に聞いたことが気になり、再度挑戦した。昨日と同じ箇所を攻めてみたが途中から松の若木が密生していて身動きが取れなくなり断念。丘陵の東側に回りこみ、北側の民家の脇あたりから強行に登った。何とか三角点69.2mのところまでたどり着いた。一段高くなっているが古墳ではなかった。山城か何かの遺構の可能性があるように思う。この丘陵頂部は幅が狭く古墳築造にはむいていないなかっのではとも思う。帰りは方向を見失い民家の庭先に出てしまった。失礼いたしました。(陣ヶ峰という呼び名もあったらしい。)

2013年4月29日月曜日

今日の活動 Ⅱ


常陸太田市大方町に最近出来た運動公園の南側地点の藪に突入すると、円墳状の高まりが浅川のすぐそば丘陵の際にあった。そろそろ薮入りシーズンは終わりでしょうか、幼虫と言うか芋虫の小さいのが衣服に張り付いてきます。

今日の活動 Ⅰ


先週の続きでさらに北側の丘陵にトライ。周辺では田植えが始まっていました。2011年の震災時崩落した切り通し地点付近には何も無し。新地町側の中間地点に登れるところがあったが、途中から藪が深くなり断念。地図にもあるように丘陵中央部まで湿地が切れ込んでおり、何かがありそう?。

2013年4月28日日曜日

引越し




今日は娘ナーの引越しを行った。アパートの内装工事の関係で、仕事が始まる前に入居が出来ず、以前からお世話になっている中山さんご夫婦宅に一ヶ月近く居候をさせていただいた。毎日晩酌つきの食事だったと聞いた。可愛がっていただきましてありがとうございました。天気も良く道路もすいていて、荷物が少なかったせいもあるが、しろうと引越しのわりにはスムースにことが運んだ。

2013年4月27日土曜日

残したい風景



この地域に住む人々が長い間手入れをしてきたからこそ、今このように田植え前の、この風景を見ることができます。周辺の植生も人の手がかかっています。今の季節の微妙な緑の色合いの有り方が好きです。

前回の続き



今日は午前中だけの活動。前回の続きで少し北側の丘陵へ。この付近の丘陵頂部は人の踏み跡の痕跡があります。そして、杭をを残していく彼らはプロなんでしょうね。

2013年4月23日火曜日

お願いします


星神社古墳の前方部にあった竹林が伐採され、前方部から後円部方向への見通しが良くなった。しかし、前方部端で工事が行われているようで、古墳をあまりいじめないようにお願い致します。

遺跡の位置の表示について



画像は4月20日に取り上げた、常陸太田市花房町青木地区で観察した横穴墓群と周辺の画像です。およそ8基あり、足場の悪い上部にはもっとありそうです。このような遺跡、あるいは古墳などはGARMINなどで得られたGPSデータを表示していきたいと思っていますが、60歳以降給料が1/3ほどになり、それにともなって小遣いも激減し、体内消毒用のアルコールも必要だし、なかなかGPS装置導入までにはいたりません。よって当分の間、遺跡周辺の画像も表示し興味のある方が観察しやすいように努めたいと思います。遺跡踏査に没頭すると写真を撮るのを忘れてしまうのは度々あることで、ブログにUPしているのは意識して撮っているからです。なかなか大変なんですよ。

2013年4月20日土曜日

今日の Ⅲ

先週はありませんでしたが季節が巡るのは早い。登り口に筍が顔を出していました。

今日の Ⅱ



常陸太田市花房町青木地区にある青木公民館から南西に行ったところに、水田が丘陵に切れ込んだようになっている地点がある。善光寺横穴群がある丘陵の反対側と言う位置だ。田植えの準備をされている方達に理を入れてから周囲の丘陵を調査した。古墳は無かったが、遺跡地図に載っていない横穴群があった。これって、知られていないのかな?めだつ位置にあるけど。

今日の Ⅰ




久慈川流域にある神社を押さえておこうと常陸大宮市の塩原、小倉、富岡地区にある三社をめぐってみた。「北野五所神社」、「稲荷神社」、「鹿嶋神社」。古墳ありませんでした。

2013年4月14日日曜日

ひたちなか市 寺前古墳



中野冨士山古墳の測量時、見学に来てくださった方達との会話の中で登場したひたちなか市にある「寺前古墳」。火事にあったとのことですが外からは良くわかりません。墳丘への立ち入りは禁止のようです。

2013年4月13日土曜日

今日の星神社古墳


田植えの準備が整ってきたようで、そろそろ水入りでしょうか。雨の後は今でも拾えるときがあります。

中野冨士山古墳と再確認



しばらくぶりの中野冨士山古墳。埴輪探しを一時間ほど、相変わらず細片しか拾えない。そして、中野の丘陵の北東部分の再確認を行った。この丘陵は昭和三十三年に太田一高の生徒が調査し「屋根(尾根?)中央では丘陵の最高点と思われる所に円墳らしいもの二基を発見した。これは二基共直径約五米封土は流れて相当低くなっており、高さ約一米でS一号墳の中央部に盗掘らしき凹にが見受けられた。」との記録が残っている。前回調査したときも見ていたが、下の画像がその内の一基なのか。丘陵の東よりの一部は篠竹が密生して見通しが利かず不明。

2013年4月7日日曜日

親の役割


カナちゃんの結婚式に出席するため一時帰国したミーさん。4月1日より働き始めたナー。今後家族四人がそろう機会も少ないかもしれないと写真館で娘二人のと、家族四人での写真を撮った。今日、ミーさんはハンガリーへ戻った。ナーは家からかよえる距離ではないので家を出ている。1週間ぶりに成田で四人が揃った。そしてそれぞれのところへ。これで親の役割のだいぶぶんが終わったのだと思うが一抹の寂しさがあるのも事実だ。娘よ「ガンバレ」と願う。