2014年12月27日土曜日

北茨城市 弟橘媛神社





北茨城市 大北川河口部の天妃山と呼ばれている所にある「弟橘媛神社」。この神社がいつの時代までさかのぼれるのかと調べてみれば、野口鐡郎、松本浩一氏による「磯原天妃社の研究」(私家版1988)に詳細な内容が記述されていました。大津、平潟だけではなく、過去にはこの大北川河口部も漁業、海運の拠点だったんですね。「松岡地理誌」から引いた文章からは「海運守護ノ為、光圀公建立セラレ元禄三年庚牛七月二十六日始テ此山ニ安置セラル(割注略)常燈ヲカカケ漁船ノ目当トナス」とあり、海上安全を祈願するまさに「Light house」的機能を持つ天妃社なのでしょう。

2014年12月14日日曜日

東海村 白方古墳群


東海村白方、白方小学校敷地内付近にある「白方古墳群」。現状は大地縁辺に木々が茂っており眺望がよくないが、視点をずらせば対岸の「船戸山古墳」がのる丘陵がよく見える。お互いの距離は約3.4kmほど。お互いを意識している立地なのだろうと思う。

東海村 別当山古墳



東海村石神、石神小学校近くにある「別当山古墳」。この地から対岸への眺めはあまり良くない。古墳の南側に切れ込む谷津状地形を意識した築造に見える。水田を意識したか津が存在したか?。

日立市 大橋古墳?




日立市大和田町天神山にある「大橋古墳」。ここにある丘陵上に大橋城郭があり、曲輪、堀切等が明確に残っていて、そこにある古墳となっているが、この古墳は城郭の櫓ではないかとの見解もある。現状を観察すると、古墳頂部に平坦面が無い、盗掘穴がある、盗掘穴と付近に石材が複数あり石材は川原石ではない、単独で存在する等である。画像下段の人物の背後は南向きであるが木々が茂っており眺望は開けない。

2014年12月6日土曜日

金井戸・曲松


「桜山古墳」の西側にある、金井戸団地と曲松団地を巡ってみた。周辺には赤羽横穴群や金井戸遺跡があり、たぶん今も昔も変わりなく、住宅団地として最適な場所だっのではと思う。「桜山古墳」被葬者の館もここにあるのかもしれない。

千福寺 桜山古墳周辺



今朝も寒い。そろそろ本格的に始動ということで、久慈町千福寺にある「桜山古墳」と周辺の調査を行った。ここからは、太平洋と河口部ばかりではなく、北側の切れ込んだ湾内と後背地もよく見渡せ、非常に眺めが良い。本堂北側の一段低くなっている地点にマウンドがあったが、塚かたんなる盛土なのかもしれない。「桜山古墳」の北側裾部で土器を1片拾った。

2014年12月3日水曜日

船瀬・船津・船戸

久慈川河口部左岸、日立市にある古墳はあまり注目されていないと思う。佐藤さんの記述によれば、過去に工場建設と県道254号線敷設工事などに伴って、かなりの数の古墳が消滅したらしい。付近に現存する古墳は、遺跡地図によれば15基ほどではないかと思う。そのなかでも、桜山古墳と船戸山古墳が注目されるのだが、先日29日に行われた研究会のなかで、これらの古墳群は全く認知されていなかった。他に、海岸線に沿って点々と航路を示すように古墳が点在している様相は、往時の太平洋を介在した、「海の民」の痕跡でもあると思うのだが。そして、肝心の船はそして帆は。上段右下の画像は京都府木津川市にある「上人ヶ平5号墳」出土の埴輪線刻画である。5世紀後半の22mの円墳となっているが、森田克行さんは「津」に停泊している船ではないかと、帆をたたんだ状態の帆柱を想定している。下段はご存知、「東殿塚古墳」の埴輪だが帆には見えない、風になびく吹流しのようにも見える。考古学的資料の希薄な状態で古墳時代の「相互海運」を語るのは難儀ではあるが、いわきの研究会で熱く語っていた西川修一さんを、私は応援したい。 (上段の画像は「大和國古墳墓取調室」、下段は「大和の古墳探索」の各ホームページから使用させていただいた。)