2012年4月30日月曜日

いわき市へ 2




いわき市平菅波字宮前54。甲塚古墳からほど近いところにある「大國魂神社」。宮司の方にお聞きすると、この付近には十数基の古墳があったが日露戦争の時代に削平されてしまったらしいとのことでした。祭神が「大己貴命」「事代主命」「少彦名命」となっていて、いわくありげな神社です。

いわき市へ 1



しばらくぶりに福島県いわき市へ。市内を迂回するバイパスが完備しちょっと戸惑いました。その常磐バイパスから見える位置にある「甲塚古墳」。いわき市平荒田目字甲塚43。径43m高さ8.2m。所有は大國魂神社となっている。

2012年4月26日木曜日

my face

上の娘が幼稚園のときに描いたもので、20数年前の私。特徴ををよくつかんでいます。

2012年4月24日火曜日

清廉・別離


昨日の天気と打って変わって青い空と暖かい陽射し、近しい親族だけでのお別れ。幼少からの苦労を感じさせない生き方は出来ることではありません。皆に愛された人生は素晴らしいです。感謝。

2012年4月21日土曜日

最後まで教えられた

かかりつけの病院に入院したときは深刻な状態ではないだろうと、安易に考えていたが、昨日、容態が悪化し、中央の病院に搬送されとき下された診断は心筋梗塞だと。それまでたいした治療も行われていなかったようだ。カテーテルは成功したが、時がたちすぎていて腎臓の機能も低下し、回復の見込みはほぼ無いと。だが、意識はあり、皆にお礼を言ったり冗談めいたことまで言っていた。最後まで周囲に気をつかい、我慢する人だった。最後の衣装まで用意していたと聞かされ、泣いた。「あっちゃん、あっちゃん」と可愛がってくれた義母。  旅立ちました。最後までありがとうございました。

2012年4月15日日曜日

仮称 中野古墳




墳丘全体画像を撮りたいと思うのですが、立ち木が邪魔をしてかないません。上段の画像は前方部から見た後円部です。後円部には太い木もあります。以前飛び跳ねているのを見かけた野うさぎの落し物だと思います。落ち葉をめくると彼らも準備中のようで、そろそろ薮入りは終わりですかね。

今日の星神社古墳

今年は順調なようです。そろそろ水が入りそう。

はなやぎ

昨夕、所用があり雨の中出かけた。ニュースでも取り上げられたこの通りには、はなやぎがありました。

2012年4月8日日曜日

最近読んだ本

「五000年前の日常 シュメル人たちの物語」  小林登志子著 新潮選書
「古墳時代史の展開と東北社会」  菊地芳朗著  大阪大学出版会
岡正雄論文集「異人 その他」  大林太郎編  岩波文庫
「古墳時代の埋葬原理と親族構造」  清家章著  大阪大学出版会
古墳時代の考古学1「古墳時代の枠組み」 一瀬和夫 福永信哉 北条芳隆編 同成社

古墳時代中期の土器の大変革とは、出現期や前期のような人やモノの移動に大きくシフトしたものではなく、生活様式そのものの変化であったことを示唆している。また、このような選択的ともいえる文物の消長は、東日本の在地社会側の嗜好・必然による取捨選択が存在していたことを示している。このように土器の変化を相対化し再考すると、じつは古墳時代前半期に実現された斉一的な土器様相は、むしろ長い酸化炎焼成土器の歴史のなかで、古墳時代という時代的枠組みの生成過程で特徴的に起こった事象である可能性が浮上してくる。弥生土器の地域色は、古墳時代の後半期にはふたたび明瞭な地域色として復活している。もちろん弥生後期の土器生産体制自体が復活するわけではない。古墳時代後期の各地の主導者層の地域的支配体制の変質がローカルな紐帯の再顕在化を引き起こしたのであろう。群集墳・横穴墓の爆発的な拡大、ひいては国造制の成立など新たな社会の枠組みの形成と因果関係のある事象であろう。  (西川修一さん)

2012年4月1日日曜日

またまた藪


青木地区にある丘陵先端部になんとか登ってみたらこの有様。灯火山古墳を思い出しました。
でも、こんな癒しもあるんです。

今日の星神社古墳と中野


昨日は台風なみの南風が吹きましたが、今朝はちょっと寒い。中野の丘陵頂部にある前方後円形の古墳を東山古墳と仮称していましたが、どうやら認知されていない古墳のようです。今日も埴輪、土器片などがないかと探してみましたがないようです。