2014年3月26日水曜日

常陸太田市大里町


梅が満開で大分春めいてきました。今のところ花粉が少ないのか快調です。今日は大里界隈を歩いてきました。やはり土器が濃厚にある畑があったり、魚富の前には、今まで何度もこの前を通っていたのに気が付かなかった、昭和15年に久米村史蹟保存会によって建立された石碑がありました。

2014年3月22日土曜日

大方町から下利員町



今日は大方大地北東部、工場敷地の山田川沿いにある地点をのぞいてから、気になっていた下利員の二ヶ所地点も見てみた。大方地区の山田川堤防沿いは崖になっていて、断層も見え、横穴墓らしきものがあった。

2014年3月16日日曜日

定番コースと




今日は暖かい一日で、大方熊野神社古墳の測量調査が終わってから、雪が降ったり寒かったりで怠けていた活動を再開した。まずは定番コースを。高山塚古墳と付随する円墳、富士山塚古墳、宝蔵塚古墳、星神社古墳と見て歩き、早めの昼食すませ大方へ向かうと井先生とお孫さんに遭遇し二ヶ所ほどを共に踏査した。「大方七塚」と言う伝承があるが、埴輪の存在からするともっと数が増えそうだ。今後、これらの検討の指針になるのは先行研究者の横倉さんの研究が重要になってくると思う。遅ればせながら、横倉様 旧金砂郷町を中心とする常陸太田市の古墳群の調査でお邪魔いたしております。お許し下さいませ。よろしくお願い致します。そして中野冨士山古墳はさらに日当たりが良くなっていた。

塗り替え

もうすぐ築30年になる我が家。雨どいが駄目になり、ついでに外装も塗り替えを、どこまできれいになるかな。

2014年3月9日日曜日

見えてきた


2月23日に、地元の有志の方達と行った中野冨士山古墳と周辺の整備が進展していた。どうやら、鴨志田秀治さんががんばってくれているらしい。おかげで郡戸橋付近から古墳の一部が見えるようになってきた。(下の画像の空に写っているのはUFOではありません。たんに老デジカメに飛蚊症が発症したためです。)

2014年3月8日土曜日

ありがたい話

検索していたら、意外な大学の研究所の紀要がありました。連絡を取ると無料で配布してくださると、送料はもちろん自弁ですけれども、小遣いに乏しいおやじとしてはありがたいことです。少々古い論文ですが勉強になると思う。

2014年3月2日日曜日

換骨奪胎

  岩波講座  日本歴史  第1巻  原始・古代1    岩波書店


       「縄文時代から弥生時代へ」    設楽 博己さんより一部抜粋


               弥生文化形成論の意義


これまでの弥生文化の研究でおもに取り上げられてきたのは選別型経済類型のそれであった。古墳時代から律令国家への歩み、すなわち国家形成という政治史的な動向をにらめば、選別型農耕を基礎とする大陸的文化要素を主とする西日本に典型的な弥生文化類型が重視されることは論をまたない。選別型経済類型の社会から古墳築造の動きが始まるという事実に即して、古墳時代への移行や国家の形成という重要な歴史過程を叙述するための当然の帰結であった。

しかし、別の視点からすれば、それは進化論的進歩主義思想にもとづく歴史の描き方であった。弥生文化を農耕文化複合ととらえ、そのなかに様々な類型があることを重視すれば、大陸的選別型農耕文化のみをもって日本列島の初期農耕文化とするのは一面を見ているにすぎないことになる。金属器の導入、支配構造の明確な墳墓の形成、集団戦の激化、集落の大型化など政治的社会の形成が顕著になるのは弥生前期末~中期初頭以降であり、それまでは緩やかな社会的諸関係のなかで農耕文化が形成されていったのである。近年の炭素14年代測定とそれにもとずく較正の結果に依拠すれば、弥生時代の半分は政治的な社会化が未成熟であった。そのような段階も弥生文化と認めるならば、弥生文化の定義は農耕文化複合の形成に求め、やがて政治的な編成が進行して古墳時代に移行する、ととらえるべきであろう。

日本列島の農耕文化複合の形成、弥生文化の形成は、大陸から導入された農耕文化複合を、それぞれの地域や土地における歴史的条件に応じて選択的に受容した結果である。これは日本列島の農耕文化の多様性、それを担った人々の多様性を重視する立場を支持することになる。かつて柳田國男は山人論を唱え、日本列島の民族の多様性を考えるきっかけをつくった。考古学における民族の問題や弥生文化形成の問題と無縁ではないこの考えは、方法論的な未熟さも手伝って柳田自身が挫折し、また柳田を含めて戦後諸学会全体が日本単一民族論へと傾斜する傾向を帯びていったのであるが、ここで示した多文化論的な視点はそうした単一文化民族論に対する批判的な視座を考古学からも提供することになるのではないだろうか。

新たな文化による伝統的な文化要素の性格の変化、あるいは逆に新たな文化のなかの伝統的な文化要素のあり様を考えていくことにより、農耕文化形成における在来の文化要素の換骨奪胎や新来の文化との相互作用交渉のもつ意味を推測することができる。大陸系要素一辺倒の平板な文化観を排し、多文化的な深みのなかで弥生文化像を再構築すべき時がきているのではないだろうか。

雨上がりの星神社古墳

寒いです。周辺の水路の整備が進んでいるようですが、ザリガニの住みかはどうなったんだろう。

2014年3月1日土曜日

結婚式

職場の若者の結婚式に招かれた。  私のおやじギャグに機敏に反応してくる感性豊かな若者だ。いや、私に合わせる柔軟性があるんだろうな。  おめでとう。