2025年6月29日日曜日
とらえ方の変化
こう暑くなってくると、雑草が繁茂している古墳への立ち入りは遠慮したい中野冨士山古墳。
前期前方後円墳3基が集中している所に、大型円墳もある。 それらが発掘調査され、2年後に報告書が発刊される予定になっているようです。
趣味の領域で考古学もどきを始めた私ですが、常陸太田市での遺跡分布調査や発掘調査までかかわりができるとは思ってもみないことでした。 今でも趣味のつもりでやっていますが、ここまでエスカレートするとは、自分でも驚きです。
今まで、各地の古墳観察を行ってきましたが、とりわけ常陸太田市の、その中でも旧金砂郷町付近にある古墳へは愛着を持って接しています。 それぞれにバリエーションがあり、おおよそ、各時代を追える古墳群で魅力的だと思っています。
それらの中の注目されている古墳が発掘調査され、古墳の内容の一部が見えてきました。
今までは表情からだけの評価でしたが、これから多少は内実からの検討・評価が期待できるでしょう。 そう、とらえ方が進化したんです!
2025年6月24日火曜日
2025年6月22日日曜日
総会・研究発表会
常陸太田市教育委員会のY氏から、梵天山古墳と星神社古墳についての発表がありました。 発掘調査から3か月ほどしかたっていないので、中間報告的な内容でしたが、さりげなく、両古墳の築造時期についても語っていました。 まあ、動くでしょうね。ご苦労様でした。
それから、常陸太田市の前期古墳として、梵天山、星神社の両古墳に注目が集まっていますが、中野冨士山古墳も発掘調査が行われていて、それなりの資料があるはずです。
ただ、手抜きなのか、へたくそだったのか、土器類の焼きが甘いため細片が多く、なかなか評価しづらい部分があると思いますが、お忘れなく注目していただきたいと願います。
2025年6月16日月曜日
2025年6月15日日曜日
2025年6月10日火曜日
2025年6月9日月曜日
2025年6月8日日曜日
2025年6月4日水曜日
冨の文字
大洗町のT氏が、フェイスブックで「中野冨士山古墳」のことについて言及してくれています。 私も当事者の一人だったので、このことについて一言述べたいと思います。
常陸太田市中野町にある「中野冨士山古墳」の命名については、地元の方のご協力で、法務局へ出向いて地籍図などを確認していただいたりして、最終的には、古い地名に「冨士山」の文字が使われているということで冨士山を、「あの方」が採用しました。 さらに、あちこちに富士が付く古墳名があるので、町名の「中野」をつけて、中野冨士山古墳となりました。
余談ですが、お隣の常陸大宮市にある「五所皇神社裏古墳」と「五所皇神社古墳」と、名前が迷走しているようですが、これは、茨城考古学の重鎮であるT先生が五所皇神社裏古墳と命名されたと聞いています。 それでいいんじゃネ!と思いますが。
そしてもう一度確認します、富ではなく冨です!
2025年6月3日火曜日
思い出
2008年5月に訪れた、群馬県榛東村にある「耳飾り館」。
だいぶ記憶が薄れていますし、当時はあまり写真を撮らなかったので、これだけの画像です。 耳飾りは、敷地内ににあったシンボルのオブジェです。
この耳飾り館は、縄文晩期ごろの茅野遺跡から出土した耳飾りを中心として展示されているそうで、バイクで道に迷いながらたどり着きました。
その時は気が付かなかったのですが、帰り道、なだらかに、ずーっと下り坂で榛名山の裾に、皆さんが暮らしているんだなと気が付きました。
茨城県に居住していては、火山の裾野に暮らす生活は体験できないでしょう。 それが、印象に残りました。
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