1月31日に常陸大宮で行われたシンポジウム、「再葬墓と人面付土器のふしぎ」のなかでも取り上げられたことがらなのですが、この泉坂下遺跡から出土した「いずみ」の「口」について考えてみたいと思います。これについて私に啓示を与えてくれたのが、ある著作の中に引用されていた白川静さんの文章でした。書き出してみます。「文字が作られた契機のうち、最も重要なことは、ことばのもつ呪的な機能を、そこに定着し永久化することであった」。これを参考にすれば、「いずみ」の口は、ある重要な意味をもつ、そして、当時の人々にはこの「口」のカタチを見れば誰でも理解できる、「ことば」、「歌」、あるいは「叫び」、などを土器に定着したのではないかと考えたのです。
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これらのことは、考古学的証明は困難なことですが、縄文時代の土偶の「口」の表現からも、なにかを語りかけているように思えるのです。
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4月末に撮影した泉坂下です。今ごろは、早苗が風にゆらいでいることでしょう。
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土器、瑪瑙片がありました。
今日の教え、「文字資料が欠如する時代の歴史については、その時代の人々が遺した物的証拠を資料とする考古学が威力を発揮する。従来、精神世界は「物いわぬモノ」を資料とする考古学にとっては苦手分野であるといわれてきた。たしかにそうではあるが、かと言って考古資料がまったく人々の精神性を語らないかというとそうではない。モノそのものの造形やそれらが置かれた位置関係などが人間の意識を十分示すことはよくあることで、それらが考古学の対象にならないわけがない。」古屋紀之さん。
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