中野冨士山古墳の後円部には天明四年銘が入った祠があり、世話人として三名の名前が刻まれています。天明三年におこった浅間山の噴火は知られていますが、同年、岩木山も噴火していたんですね。そして、天明三、五、六年と久慈川流域で洪水が頻発して、おまけに、アイスランドでも同時代に大噴火があり世界の気象に影響が出ていたという、二重苦三重苦の様な状態での生活は凄惨な状況だっのかもしれません。当時の政治状況も飢饉の要因だとの説もあるようですが、それはそれで、この地域の代表者としての三名の世話人の思いが詰まっている「これ」なのだと思います。
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