先月、常陸太田市松栄町にある「二階穴(横穴)」の位置確認についてアドバイスを受けたKi氏との雑談の中で、旧金砂郷町の遺跡の基礎資料として「金砂郷村史」は今もって重要な資料だとの発言があったが、まったくその通りだと思う。S氏の功績は今も進行形で発揮されている。
それプラスとでも言うのか、昭和30年代に太田一校の生徒たちが調査した資料がある。その「史考 第15号」に中野町の丘陵西側斜面にある「ばくち穴横穴群」の調査があるが、昨年の遺跡分布調査でその一部を見た。この、中野町から北へ向かって松栄町、花房町へと断続的に続いていく丘陵斜面に築かれてかれている横穴墓群は、久慈川の支流、浅川に沿って築かれているが、これらの丘陵南端部に「中野冨士山古墳」があるのは象徴的だ。特に浅川に向かって、西向き指向の31基あるとされる「ばくち穴横穴群」はもっと詳しく調査する必要があるかもしれない。
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