スタンフォード大学が無料公開している地図を借用しています。 この地図は、明治38年測図、大正6年修正測図、昭和3年鉄道補入、昭和4年6月発行となっています。
地図上の赤丸は松栄町にある香仙寺で、境内には直牒洞(じきてつどう)があります。黄緑丸は、香仙寺北側に展開する横穴墓群の位置を示しています。黄色線は、この地区の「字」名です。
2段目画像は、直牒洞です。3月に調査報告書が刊行され、直牒洞中央窟は後世改変の大型横穴墓だと結論されています。
3段目画像は青木地区にある横穴墓群の内の1基です。
さて、この青木地区は2012年3月に私的調査を行い、民家の裏に3基のマウンドがあるのを確認しました。そのさい、地元の方達との会話からこの青木が「アオキ」ではなく「オオキ」と呼称されていることを確認しました。 その後、2018年に市教育委員会主導の分布調査が行われ、この地に多数の横穴墓があるのを確認しました。これには私も驚いたのですが、同時に「オオキ」の意味が気になっていました。(スタンフォード地図では「オーキ」となっているので、以下では「オーキ」を使用します。)
前置きが長くなってしまいましたが、地名と遺跡がリンクするとは限らないわけで、ましてや横穴墓が築造された時代と「オーキ」の字名がそのまま遺跡の意味を表すとは限らないのは自明のことでしょうが、こだわってみたいと思います。
まず、新編常陸国誌には、「花房として、下花房、本郷、薹坪、上町、下町、青城等の小名を有す」とあり、青木ではなく青城となっています。
その青木がどのような意味を持っているのか、私の妄想も含めて考えてみたいと思います。
青木ーーアオキが茨城弁特有に訛ってーーオーキになった。
大木ーーオオキーー巨木があったーーそのままオーキに。
大城ーーオオシロではなくーーオオキ大きな建物があったーーオーキ
奥津城ーーおくつきーーオーキ などと妄想はこれくらいにして、いずれにしてもこの青木地区にある横穴墓群は、今後注目される存在になると思いますが、この地区の入り口的な位置にあるマウンドも注目する必要があるのかもしれません。
そして話は変わりますが、2018年に久米町を調査しているとき、地元の方の案内で久米城跡の東側に横穴墓群があることが分かりました。公的には新発見となるのでしょう。
こんな発見のあるのが常陸太田市です。
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