2024年8月31日土曜日

読・読・読・・・


 モントリオール滞在中に数回利用したコインランドリー。 料金は安いけど店のなかは汚いし、機械も故障しているのがあったりして、やる気があるようにはみえない!


〇「スロヴァキアを知るための64章」  長與 進、 神原 ゆう子編著  明石書店

〇「年輪で読む世界史」      バレリー・トロエ著  佐野 弘好訳  築地書館

〇「青の民俗学」地名と葬制        筒井 功著        河出書房新社

〇「中世常陸の土豪と農民」       志田 諄一著          筑波書林

〇「日本の地名」            谷川 健一著          岩波新書

〇「日本の地名」60の謎の地名を追って  筒井 功著        河出書房新社

〇「続 日本の地名」動物地名をたずねて 谷川 健一著          岩波新書

〇「トッド人類史入門」西洋の没落   エマニュエル・トッド、片山 杜秀、佐勝 優                                             

                                    文春新書

〇「古代出雲を歩く」          平野 芳英著          岩波新書

〇「日本の分水嶺をゆく」本州縦断二七九七キロ

                    細川 舜司著           新樹社

〇「役に立たない科学が役に立つ」エイブラハム・フレクスナー、ロベルト・ダイクラーフ

         初田 哲男監訳 、野中 香方子、西村 美佐子訳  東京大学出版会

〇「ポーランドを知るための55章」   渡辺 克義編著          明石書店

〇「日本史を暴く」戦国の怪物から幕末の闇まで   磯田 道史著      中公新書

〇「戦争と経済」舞台裏から読み解く戦いの歴史

                      小野 圭司著    日本経済新聞社出版

〇「中山備前守信吉」附家老の果たした役割   茨城大学准教授    磯田 道史先生

                            高萩市教育委員会生涯学習課

〇「インド外交の流儀」先行き不透明な世界に向けた戦略

             S・ジャイシャンカル著   笠井 亮平訳     白水社

〇シリーズ地域の古代日本「筑紫と南海」

             吉村 武彦、 川尻 秋生、 松木 武彦編    角川選書

〇「追憶のドイツ」 ナチス・空襲・日本人技師   佐貫 亦男著       酣燈社

〇「玉ねぎの皮をむきながら」    ギュンター・グラス著  依岡 隆見訳  集英社

〇「戦争の起源」 石器時代からアレクサンドロスにいたる戦争の古代史

        アーサー・フェリル著  鈴木 主税、 石原 正毅訳  河出書房新社

〇「大学教授こそこそ日記」            多井 学著    三五館シンシャ

〇「75歳交通誘導員」                柏 耕一著   河出書房新社

〇「佐貫 亦男のアルプへの五十年」          佐貫 亦男著   山と渓谷社

〇「進化を超える進化」     ガイア・ヴァインス著  野中 香方子訳  文藝春秋

〇「心も体も!さびないジジイは今日も行く」

                          石井 勝利著   明日香出版社

〇「飛行機のスタイリング」          佐貫 亦男著  グリーンアロー出版社

〇「世界の美しい甲冑解剖図鑑」

         ドナルド・J・ラロッカ著  瀧下 哉代訳  (株)エクスナレッジ

〇「日本語の考古学」                  今野 真二著   岩波新書

〇「出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記」    宮崎 伸治著  三語館シンシャ

〇「チェコを知るための60章」      薩摩 秀登、 阿部 賢一編著  明石書店

〇「JAPANESE AIR POWER」米国戦略爆撃調査団報告  日本空軍の興亡

                       大谷内 一夫訳・編   (株)光人社

〇「日本語と漢字」正書法がないことばの歴史       今野 真二著   岩波新書

〇「レンズが撮らえた幕末維新の志士たち」       小沢 健志監修  山川出版社

〇「平将門の乱と蝦夷戦争」               内山 俊見著   高志書院

〇カメラが撮らえた幕末三〇〇藩「藩主とお姫様」   新人物往来社編  新人物往来社

〇「古墳と埴輪」                    和田 晴吾著   岩波新書

〇「異国人たちの江戸時代」               森田 健司著    作品社

〇季刊 考古学163「埴輪からみた王権と社会」  Edited by 廣瀬 覚   雄山閣

〇季刊 考古学167「古墳時代の日韓交渉の基礎資料」

                        Edited by 山本 考文   雄山閣

〇「ヒュースケン日本日記」1855~61         青木 枝朗訳  岩波文庫

〇「中島戦闘機設計者の回想」               青木 邦弘著   光人社

〇「古河の歴史を歩く」        古河歴史シンポジウム実行委員会   高志書院

〇「茨城の歴史的環境と地域形成」           地方史研究協議会編  雄山閣

〇グローバリズムの破綻「対立の世紀」      イアン・ブレマー著   奥村 隼訳

                                  日本経済新聞社 





2024年8月26日月曜日

那珂市 額田神社






たまに利用する、額田にあるコーヒー豆屋さんの近くにあるので「額田神社」へも。

神社のホームページを拝見すると、神社名は「鹿嶋八幡神社」となっていて、俗称「額田神社」となっていますが、境内は「額田神社」名の方が圧倒的なようです。

祭神は「武甕槌命」と「誉田別命」で、本殿も二社あり最強の神々です。 以前には無かったと思う名板や剣九曜紋がありましたが、神紋と社紋とに分けているのでしょうか。
 

2024年8月22日木曜日

お盆過ぎの星神社古墳付近と

お盆が過ぎると、途端に虫の声が元気になったような気がします。 そして、日も短くなってきましたねの「星神社古墳」です。 台風が空振りだったおかげで稲も元気で順調です。


山田川を背にして見た、右から、星神社古墳と真ん中が小島の集落がある樹林。左端に見えるのが、梵天山古墳群がある島町の丘陵の一部です。それぞれ田んぼの中の島のようです。


そして、反対の西側から見た画像です。 左側にある星神社古墳と住宅が見えている小島町の集落です。 島の丘陵は写っていませんが、右側にあるのを想像してください。 以前にも紹介してますが、私はこの小島町に注目しています。 一か所、古墳の可能性がある地点があり、(私が勝手にそう思っている)数か所で土器片を採集していますし、梵天山古墳と星神社古墳とに挟まれたこの地に、何かあると考えるのが必然でしょう。
 

2024年8月12日月曜日

常陸太田市 宝寿院跡



常陸太田市磯部町にある共同墓地は「宝寿院跡地」でもあります。水戸藩の寺社整理と云うか寺院破却か、案内板に書かれているように、当時、常陸太田で二番目に大きかった「宝寿院」が取り壊されて、 今は、代々の僧侶の墓石が並んでいます。(どんな理由だったのか) 



そして、末寺の「鶴提地蔵尊」だけが残されて、国道349号線の旧道、佐竹郵便局の隣にささやかな姿で鎮座しています。
 

2024年8月8日木曜日

常陸太田市 もう一度磯部

画像は常陸太田市が公開しているハザードマップを借用しています。

この画像を見ていて気が付いたのですが、左下の黒丸地点。大きい方が梵天山古墳がある島町の独立丘陵です。 小さい丸が星神社古墳地点です。 その左にある中野町の丘陵先端部に中野冨士山古墳があります。 この図の白い地点は安全な地域で、赤が濃くなって紫になるほど洪水被害がひどくなる可能性を表しています。 これを見ると、常陸太田市の前期古墳は、気象条件によっては周囲が水浸しになる地点を選んで築造しているようにもみえます。 それを念頭に右側の黒丸を見ていただいて。 ここも前回紹介した磯部町で峰山地区の独立丘陵です。 これだけを見れば、ここにも前期古墳があってもおかしくないように思えますが、そう単純ではありません。 この峰山で過去に行った私的調査では、五十部神社の東側方向に、点在する3基の古墳の可能性があるマウンドがあり(峰山古墳群)、地形的には全体に平坦面が多く、開墾されているような印象を受けました。 その他茨城県遺跡地図によると、弥生からの集落跡と峰山館跡とがあるとなっています。・・・・・・・・・・


この峰山の丘陵東側には、源氏川と里川の合流地点があり、その流れが南下して久慈川と合流しています。 そして、以下は妄想です。 古代には太平洋から久慈川河口へと舟を進めてくると、左岸にある久慈浜、南高野をすぎると、矢じりのようにも見える峰山の丘陵が見えてくる。 そこは、久慈古墳群への関所あるいは道しるべだったのかもしれない。 これらの地形的条件を加味すれば、前期古墳が無いかわりに、古墳との親和性の良い十王台式から続く住居跡、船着き場、倉庫跡その他などがあったのではと・・・・・・・・・・・・・妄想が膨らみすぎですかね?

画像は、東側の源氏川方面から見た峰山の丘陵と五十部神社入口です。
 

2024年8月6日火曜日

盛夏なかの星神社古墳




稲に花が咲いている「星神社古墳」です。 早めに田植えを行った田んぼは、首(こうべ)が垂れはじめていました。 暑い日が続くせいで、ちょっと早いのでしょうか。


 

2024年8月4日日曜日

常陸太田市 磯部

「常総の歴史」創刊号に、志田諄一さんの論考「磯部と舟運」があります。 そのなかで茨城県には磯部と言う地名が割合多いということで、旧地名ですが、西茨城郡岩瀬町磯部、猿島郡総和町磯部、筑波郡筑波町磯部、常陸太田市磯部が取り上げられています。 そしてこの磯部は漁撈や航海と河川では河川港、舟運にも従事したのではとしています。 この常陸太田市磯部町付近は、過去にさんざん歩き回った所でもありますが、このような視点でこの地を見たことが無かったので、暑い中ではありましたが、ちらっと見てきました。 上段の国土地理院の治水地形分類図は磯部付近を中心に見ていますが、赤丸が後期前方後円墳の谷川原1号墳(入定塚)地点です。 この古墳は谷川原古墳群の中でも一番低地の右側に見える源氏川と下に見える久慈川とに近い位置にあります。・・・・・・・・・・・・・・・・


写っている車の左奥に谷川原1号墳が有ります。 今は藪のなかです。 この古墳は磯部町にありますが奥に向かって道を上っていくと、左側は谷河原町で右側が磯部町となります。 



2段目画像の右側には、この画像の磯部共同墓地があり、元は宝寿院があったということで、案内板があります。 中世においてもこの地は、特別な場所を選んだのでしょうか。


暑くてさらりと見ただけの私見ですが、河川港があったとすれば谷川原1号墳付近か、磯部共同墓地の北側にある、元佐竹高校入口の西側に切れ込んでいく谷津付近なのではと思うのですが、あくまで素人の思い付きのブログネタですから、信用しませんように。