2024年8月4日日曜日

常陸太田市 磯部

「常総の歴史」創刊号に、志田諄一さんの論考「磯部と舟運」があります。 そのなかで茨城県には磯部と言う地名が割合多いということで、旧地名ですが、西茨城郡岩瀬町磯部、猿島郡総和町磯部、筑波郡筑波町磯部、常陸太田市磯部が取り上げられています。 そしてこの磯部は漁撈や航海と河川では河川港、舟運にも従事したのではとしています。 この常陸太田市磯部町付近は、過去にさんざん歩き回った所でもありますが、このような視点でこの地を見たことが無かったので、暑い中ではありましたが、ちらっと見てきました。 上段の国土地理院の治水地形分類図は磯部付近を中心に見ていますが、赤丸が後期前方後円墳の谷川原1号墳(入定塚)地点です。 この古墳は谷川原古墳群の中でも一番低地の右側に見える源氏川と下に見える久慈川とに近い位置にあります。・・・・・・・・・・・・・・・・


写っている車の左奥に谷川原1号墳が有ります。 今は藪のなかです。 この古墳は磯部町にありますが奥に向かって道を上っていくと、左側は谷河原町で右側が磯部町となります。 



2段目画像の右側には、この画像の磯部共同墓地があり、元は宝寿院があったということで、案内板があります。 中世においてもこの地は、特別な場所を選んだのでしょうか。


暑くてさらりと見ただけの私見ですが、河川港があったとすれば谷川原1号墳付近か、磯部共同墓地の北側にある、元佐竹高校入口の西側に切れ込んでいく谷津付近なのではと思うのですが、あくまで素人の思い付きのブログネタですから、信用しませんように。
 

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