2022年1月15日土曜日

常陸太田市 中野町 4




常陸太田市中野町にある独立丘陵の私的調査。

西側斜面を除いてだいたい終了しました。 まあ、一人での調査だったので、隈なくとはいかないまでも、この丘陵の地形の細部を見ることが出来たのは良かったと思っています。

成果としては不発でした。

3月はぼちぼちと、別な地点を見てみようと思っています。


 

2022年1月10日月曜日

常陸太田市 中野町 3



今日も中野冨士山古墳にご挨拶してから、突撃。

円墳らしき5米のマウンドを今日も探しましたが、不明でした。 そして、史考15号では東側斜面では何も発見されなかった、となっていますが、谷状に切れ込んでいる地点があり、もしやと思って見てみましたが、なにも見当たりませんでした。

丘陵の東西で地質の違いがあるのかもしれません。 念のために、北側の丘陵先端部に這い上がってみました。 丸くマウンドにも見えますが、(2段目画像)このような地形はよくあるんですよね。 次回はまた別の地点へ突撃します。
 

2022年1月6日木曜日

常陸太田市 中野町 2




 史考15号では調査に至る経過として、 調査開始前に屋根(尾根?)中央部に円墳が、東西斜面に横穴墳があるものとの想定を下し調査を行った。屋根(尾根?)中央では丘陵の最高点と思われる所に円墳らしきもの二基を発見した(2段目画像青線)。これは二基共直径約五米封土は流れて相当低くなっており、高さ約一米でS一号墳の中央部に盗掘らしき凹みが見受けられた。 とあります。

上段画像は国土地理院の傾斜量図を拝借しています。 ちょっと不鮮明ですが、下のほうに見える前方後円墳が中野冨士山古墳です。赤丸で囲ったところに、整地されたようにみえる地点に円墳らしき影が見えています。ただ、2段目の史考15号にある略図とくらべると、地形が異なって見えます。多分南北が逆転して描いてしまったのかもしれません。

それはともかく、まず初めにこの円墳とされる地点を目指しましたが、傾斜量図にあった地点が分かりませんでした。 もう少し北側に行った地点に円形の高まりがありました。径約10mほど(下段画像)。これがたんなる土膨れなのか人工物なのかはわかりません。

中野冨士山古墳整備の時、80歳を超えた方達との会話で、戦争中に金砂郷町にある丘陵の高所地点に高射砲陣地が築かれたところもある、との情報を聞かされています。

さて、そんなことも参考にして、再度突入してきましょう。


2022年1月5日水曜日

常陸太田市 中野町 1



 喪中なので新年の挨拶は無しです。

上段画像は、常陸太田市中野町にある独立丘陵で、画像左側付近に中野冨士山古墳があります。

昭和33年6月3日、常陸太田第一高等学校史学会員13名が、以前は郡戸村だったこ地の丘陵を群戸丘陵と呼称して調査を行っています。

それをまとめたのが、下段画像「史考 第15号 郡戸古墳調査報告」です。

私もこの丘陵は2012年から数回調査をしていますが、部分的調査で終わっているので、史考15号を参考にして、なるべく全域を調査したいと思っています。

まあ、物好きな事ですが、これも私の趣味ですから。 そう、趣味=物好きでしょう。

2021年12月30日木曜日

締めの御挨拶





梵天山古墳から中野冨士山古墳、星神社古墳へとご挨拶。

宝金剛院では、屋根の銅板の葺き替え工事が行われていた。

某C国コロナウィルス以外に、昨年と今年はいろいろあった。

まあ、これも70の節目の年に完結できそうなので良しとしよう。

来年の2月には注目すべき活動が再開しますが、その前に私的調査を某所で行うつもりでいます。


 

2021年12月25日土曜日

日立市 会瀬鹿島神社









 日立市会瀬町にある「会瀬鹿島神社」。 この神社は、周辺を地元企業やその子会社などに囲まれていて、なんだか神威が感じられないように思っていましたが、市報正月号の表紙に取り上げられました。 2段目の画像に海から朝日が昇ってくるような表紙です。

これからの人気スポットになるかもしれません。
由緒によると、大同年間に、この地を開拓した祖先が鹿島神宮の分霊を勧請したとあります。
成澤鹿島神社も同様な文面でしたが、開拓した祖先とは他所からの移住者だったのか、気になるところです。


2021年12月23日木曜日

The old soldier is dead



 やはり倒れる危険性があるので、老兵は退場させられました。

静かに、ささやかに、平和に暮らしていくのが、状況によって無残にも否定されるのは、あるいは否定されつつあるのには怒りを覚えます。