最近、「常陸国久慈郡嶋村全図」という資料の存在を知りました。作成されたのは弘化2年(1845年)となっているようで、梵天山古墳がのる丘陵全体図や高山塚古墳、富士山塚古墳などの図があります。墳丘上には松の木が描かれており、現在のような杉の木は無いようです。中野冨士山古墳測量時、地元の長老数名にいろいろと話を伺いましたが、先の大戦まで各丘陵には松の大木があったそうです。今とは大分景観が違っていたものと思います。そして、地元の方はすでにご承知なのでしょうが、郡戸小学校東側に展開する水田地帯の一部の田んぼに、白鳥が集まっているところがあります。餌場なのだと思いますが、近づいても逃げませんでした。これも、旧金砂郷町の名所なのでは。
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