2014年10月8日水曜日

北茨城市 大津・関本





まだ、完全な復興とはなってはいない北茨城市にある大津港。古代の海上交通の拠点である「梁津郷」ではと推定されている地点でもあるが、この地域の古墳を観察に行ってきた。まずは、成顕寺境内にある「大塚山古墳」。だいぶ変形しているが、円墳だとすると径50mをこす大型円墳になる可能性がある。美術館近くにある古墳は藪の中にあるため後日見学することにした。その後、関本地区に移動し、関本中学校そばにある「稲荷塚古墳群」も藪の中。楊枝方にある「塚山古墳」も見に行ったがたどりつけなかった。かわりにパラボラアンテナを見ることができた。 海岸線にある「大塚山古墳」は採集された土器から5世紀の築造ではとの見解になっており、規模からすれば首長墓と言っていいと思う、福島の研究者である柳沼賢治さんの論考に「太平洋に面した古墳で南端に立地しているのは玉山古墳である。現在の海岸線から約4kmにあり、東にのびる細い丘陵の先端付近に築造されている。眼下の沖積地は、海に向かって南東に広がっている。これより南の地域で主要な古墳が築造された久慈川河口付近とは約70kmの隔たりがある。この距離は、久慈川河口からさらに南に位置する大洗日下ヶ塚(鏡塚)古墳との距離の約3倍である。太平洋に面した常陸北部から宮城県名取までの間には断崖が多く、広い沖積地が少ない。ゆえに、太平洋沿岸の関東地方北部から東北地方南端の間に古墳の空白域ができたのであろう。」とあるが、この「大塚山古墳」の存在が、その一部を否定することになるのかもしれない。だが、古墳時代の太平洋海上交通を語るうえで、埴輪や大廓式土器などの動向からの柳沼さんの考察は重要な存在だと思う。なお、北茨城の古墳及び各遺跡については早川さんがすでに網羅的に調査されていると教えていただいた。

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