2019年10月30日水曜日
思い出したことなど
この度の台風19号により久慈川が氾濫したが、その支流の浅川の一部も氾濫した(二段目画像)。それで思い出したことがある。被災した方達に対して不謹慎に思えるかもしれないが、お許しいただきたい。 2012年、常陸太田市松栄町にある道場塚古墳地点(上段画像)の地主である、当時86歳とおっしゃっていたKさんから話を聞いたことがある。K氏さんが子供のころ浅川の堤防が決壊し、その修復のため青年団がやって来て、古墳の土もろとも石棺も堤防に投げ入れたという。その時香炉も出土し誰かが持ち去った、という内容だった。Kさんの年齢から逆算すると、大正15年(昭和元年)生まれとなるが、国交省の常陸河川国道事務所のホムページによると、久慈川は昭和3年より毎年のように氾濫している。支流の浅川も同様な状態だったろうと推察する。Kさんの子供のころというと昭和10年ごろの記憶であろうか。 その時石室は開口していたのだろうか? いやもう一つ別の記録がある。
以前、私が存在を再発見した道場塚古墳にまつわる古墳碑がある。(三段目画像以下)これには、大正十一年三月小島 嶋 粟原の水田へ、浅川より水を引くための工事が行われ、工事に必要な土どりのため道場と称する地を崩したとある。そして、その塚は上古の貴人の墳墓なる事を発掘せるさい刀剣がでたという。この碑文のニュアンスでは、大正十一年当時古墳との認識はなく、未盗掘の古墳だった可能性がありそうだ。刀剣以外の遺物はどうだったのかは碑文には無いし、石棺もどの様な石棺だっのか見てみたいけど、浅川のどこかの堤防の中で防災の役に立っているのでしょう。 香炉とする遺物も気になるところです。
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