先週の,集中曝涼会場の中野冨士山古墳地点にある駐車場で、地元のK氏と立ち話をしたとき、私にとっての新知見だった話の内容を書き出してみます。 K氏とは、古墳発見から測量調査に向けた樹木伐採作業からの、かれこれ10年ほどのお付き合いになります。
現在の中野冨士山古墳の駐車場として使っている地点は、地主の方から無償で借りていて,K氏が重機で整地して使用しています。 画像の住宅があるあたりは過去に寺があり、大角寺跡として茨城県遺跡地図に表記されています。 その元寺の裏側あたり、画像右側の斜面に横穴が沢山あったそうです。 現在は斜面が削られてしまい、横穴は消滅しまったそうです。 これが、横穴墓かどうかは不明ですが、K氏の自宅裏に横穴が残存しており、K氏の口ぶりから推察しても、それも含めて、この南側斜面にそれなりの数の横穴墓群があった可能性があると思います。
ちなみに、昭和三十三年六月三日、県立太田第一高等学校の生徒たちが、郡戸古墳調査としてこの丘陵一帯を調査していて、この成果は「史考 第15号 郡戸古墳調査報告」として発表されています。 ただ、この丘陵の東西の斜面には注目しているようですが、現在、駐車場になっている、南側斜面には注目していないようにも見受けられます。 でも、おそらくこの前の道路も通っているわけですから、目視での確認は行っていたと推察したいです。
その時にはすでに、横穴の大部分は消滅していたのかもしれません。
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