2023年4月4日火曜日

古い地図と凸凹図から見てみる



 上段画像は国土地理院の傾斜量図を、下段画像はスタフォード大学が公開している、明治38年測図地図を借用しています。

共に、赤矢印は「桜山古墳」地点を、青矢印は「舟戸山古墳」地点をそれぞれ示しています。

明治38年測図地図(以下地図)には、90度近く蛇行した久慈川河口部が表示されています。 これは、約50年前に直線的な流れになるよう、河口部の付替え工事が行われて現在に至っています。 上段画像の傾斜量図(以下量図)には、久慈川ではなく支流の茂宮川が表示されています。 

さて本題ですが、地図上の桜山古墳は小さな丸で表示されています。当時も認識されていたんでしょうね。 舟戸山古墳は37.4mの三角点で表示されています。 この2基の古墳の間に展開している低地が現在の久慈町3丁目で、海抜が2mほどのため、この付近の住宅地は過去に何度も冠水被害にあっています。  そして、桜山古墳は、東からのびてくる丘陵の西端に築かれていて、舟戸山古墳は、丘陵北東端に築かれています。 この古墳それぞれが、久慈町3丁目を見下ろすように築かれているように見えます。 以上の状況を考え合わせると、この久慈町3丁目付近は湾のような地形で、古墳時代の港としての機能を持っていたのではないのかなと推測したいです。

なんか、ここまで書いてきて「そんなの知っとるわい!」と言われそうですね。メンゴ。


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