ランチの後は食後の運動がてら東上野方面へ、源空寺にある「伊能忠敬墓」を目指します。
墓地は、道路をはさんだ本堂の反対側にありました。伊能忠敬の墓石にも細かく撰文が刻まれています。
文化9年(1812)に忠敬が九州福岡藩での測量時、青柳種信が案内役を務め知的な会話が持たれたらしいですが、当然 志賀島の金印のことも話題になったでしょう。 それらの内容がどのようなものだったのか興味がわいてきます。
そして忠敬は、先に紹介した蒲生君平とは十数年ほど同時代人でもあります。 お互い学者としての視座は異なっていますが、接点は有ったのか無かったのか。 勘解由先生に合掌。
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