2024年9月16日月曜日

小島町 熊野神社




常陸太田市小島町のはずれの山田川右岸 堤防沿いにある「熊野神社」。

この神社は竹越の集落を目指していくとたどり着けないみたいで、山田川に架かる橋の堤防から訪れました。 この部落の方達のための神社なのだろうと思います。 明治三十八年測図地図には鳥居マークが示されているので、それなりの社殿が有ったのかもしれません。 古そうな祠がありますが、由緒は不明です。
 

2024年9月11日水曜日

藤田町 別雷神社





常陸太田市藤田町の県道61号線沿い、人気の蕎麦屋さんの近くにある「別雷神社」

この神社へは以前にも訪れていて、立地もそうですが、丸に二重葵の神紋が珍しいなと思っていました。 便利なインターネットで調べてみると、葵の紋はもともと京都の加茂別雷神社、加茂御祖神社の神紋だそうで、なるほどと納得しました。 では、県内にあるほかの別雷神社の神紋はどうかと調べてみると、同じ丸に二重葵の神社は見当たりません。

他にはと範囲を広げてみると、島根県壱岐の島にある加茂那備神社が似ている神紋でした。まあ、常陸太田と関係性があるとは思えませんが、以外と珍しい紋なのかもしれません。

余談ですが、この藤田町にある別雷神社の立地は、天神林町の台地と山田川との間にあり、北西方向の田んぼの向こうには赤城神社がある大里の台地が見え。 南東方向は河合町の向こうまで田んぼが続いており、見晴らしがとても良い立地です。 と言うことは、冬には大里の台地の向こうに見える、雪をかぶった那須連山方面からとても冷たい風が吹いてきます。

夏はとても暑い常陸太田! 冬はさらに寒い常陸太田! の環境と、生産者さんたちの思いが込められた別雷神の存在が、おいしいお米になっているのでしょう❣
 

2024年9月8日日曜日

藪の中にある歴史



ふたつの台風の影響もなく元気に色付いてきた田んぼ。 一部では稲刈りが終わっていたところもありました。 今回は、古墳ではなく藪の中にある歴史を取り上げてみましょう。・

星神社古墳は、皆さんご存じのように、光圀より鴨志田家が拝領した古墳ですが、同じ光圀時代に鴨志田家は水戸藩郷士として取り立てられています。そして代々鴨志田又左衛門を名乗っていました。 その又左衛門のひとり、又左衛門直升は天保年間より万延二年74歳で亡くなる晩年まで、兵学・松田新流砲術の師範として、異国船出没における海防のための軍事訓練を、水戸藩各所において鉄砲の指導を行っています。 さらに自宅にもある矢場(射撃場)でも指導を行っていたということです。 それが、星神社古墳の目の前、今では藪になっていますが、南北約100mほどの敷地がその地点だったようです。 いつの日か調査がされる時があれば鉛玉が出土すると思います。 今のこの地は静かな田園風景ですが、当時の小島村と中野村には銃声がとどろくときがあったのでしょう。


                                         これらは、過去に鴨志田家御当主にお会いした時に、一部伺ったことでもありますが、鴨志田昌夫氏の遺した著書「古文書を聴く」も参考にさせていただきました。