2024年9月8日日曜日

藪の中にある歴史



ふたつの台風の影響もなく元気に色付いてきた田んぼ。 一部では稲刈りが終わっていたところもありました。 今回は、古墳ではなく藪の中にある歴史を取り上げてみましょう。・

星神社古墳は、皆さんご存じのように、光圀より鴨志田家が拝領した古墳ですが、同じ光圀時代に鴨志田家は水戸藩郷士として取り立てられています。そして代々鴨志田又左衛門を名乗っていました。 その又左衛門のひとり、又左衛門直升は天保年間より万延二年74歳で亡くなる晩年まで、兵学・松田新流砲術の師範として、異国船出没における海防のための軍事訓練を、水戸藩各所において鉄砲の指導を行っています。 さらに自宅にもある矢場(射撃場)でも指導を行っていたということです。 それが、星神社古墳の目の前、今では藪になっていますが、南北約100mほどの敷地がその地点だったようです。 いつの日か調査がされる時があれば鉛玉が出土すると思います。 今のこの地は静かな田園風景ですが、当時の小島村と中野村には銃声がとどろくときがあったのでしょう。


                                         これらは、過去に鴨志田家御当主にお会いした時に、一部伺ったことでもありますが、鴨志田昌夫氏の遺した著書「古文書を聴く」も参考にさせていただきました。
 

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