2021年10月7日木曜日

常陸太田市 大方町の事柄





 常陸太田市大方町について、瑣末なことを取り上げてみたいと思います。

大方町は、その北方の高柿町から連なる舌状に伸びる台地で、東に久慈川支流の山田川、西に浅川に挟まれた、日当たり良し、水害の心配なしの居住区としては最適な場所です。

この地の古墳に関する記述としては「金砂郷村史」に詳しく述べられており、現存する古墳は痕跡も含めると7基ほどでしょうか。消滅してしまった古墳を含めると10基以上は存在したようです。 時代的にはおおむね6世紀代とされる古墳が中心になるようです。

画像上段は大方町を南側から見たものです。 左端に鳥居が見えますが、その奥に径50m級の円墳「大方鹿島神社古墳」があり、その西側にも円墳があります。

画像2段目は、大方町を北側から見たものです。オレンジ矢印は小さな前方後円墳の大方熊野神社古墳があるあたりです。 この古墳は後円部が南方面を向いており、ご先祖様かもしれない、久慈古墳群の方向を意識しているんじゃないのかなと思いたくもなります。 3段目画像は大方熊野神社古墳後円部と鳥居です。

4段目画像は明治38年測図の大方地区です。 黄色線は大方鹿島神社古墳地点。 オレンジ矢印は大方熊野神社古墳がある地点ですが、鳥居マークがありません。 この神社は地主が近世に建立した可能性があるようですね。

そして、黄緑線はこの付近の字名で、旧字の臺(だい)となっています。 ちなみに、地図には載っていませんが、大方鹿島神社古墳付近の字名は「宿」となっています。 わかりやすい字名ですね。

さて、この臺(台)の意味ですが、広辞苑 第二版には、たかどの、うてな、ものみ、山や岡などの平たく台のようになった土地 などとなっていますが、はたしてどれが当確するんでしょうか。

この大方地区で、私の私的な実見として十王台式土器の破片をたくさん見ることが出来る畑がありますが、土師器を伴わない事実も確認しています。 そして、十王台と古墳の親和性は皆さんご存じのことでしょう。


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