以前にも取り上げたが、高萩市石滝 旧髙萩工業高校の西方端の墓地にある「上台古墳群」のうちの1基。学校敷地内の体育館そばにも1基あるらしいが、昔のように簡単には校内に立ち入れないので見ていない。この地点から東南方向1kmほどのところにある古墳群も「上台古墳群」となっている。この付近は行政区の境目で、日立市側は「藻島台古墳群」と呼称している。
さて、今からは私の妄想をひとつ。 数十年前、高萩市側には石滝団地、旧十王町側にはいぶき台団地という住宅団地が大々的に造成され、かろうじて残ることができた古墳群が上台古墳群であり藻島台古墳群、長久保古墳ではなかろうかなと思う。 これらの団地群の中心部の遺跡として調査されているのは3か所ほど。これだけ広い台地で日当たり良し、安全な居住区として最適な場所に遺跡が少数とは考えられない。 佐藤正則氏の論考に日立市郷土博物館紀要第3号の「久慈川下流左岸の古墳群形成」で狐塚古墳として「この大甕工場敷地内には、無数の古墳が点在していたが、昭和三十年代から姿を消し、工場が建ち並んだ。私たちの幼いころ、この辺を歩くと、右、左、前後と、いたるところに古墳があったのが今でも記憶にのこっている」とある。
これを、工場から住宅団地へと入れ替えれば合点がいくのではないかと思うが、 いかがだろうか?
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