国土地理院の地図を拝借させていただいています。
地図には那珂市の主な古墳と森戸遺跡の位置と、対岸の常陸太田市の久慈古墳群の位置とを赤点とグレーの丸とで表示してみました。 この付近の久慈川は蛇行して高低差もあまりなく、流れは緩やかで支流の浅川、山田川、里川等が合流するといった、多目的に河川が利用できる重要地点だったのだろうと思います。それは、久慈川左岸にある星神社古墳を筆頭に高山塚古墳まで他地域を凌駕する古墳が連続して築造されていることで証明されていると思います。では、右岸の状況は。
那珂市の古墳群については「那珂町史」に詳細に記述されているので、私は別な視点で書いてみたいと思います。といっても、もうすでに田中 裕氏が「続 常陸の古墳群」のなかの「総括に代えて」で大型円墳に着目されています。私も2011年、2012年頃だったか、径30m~40mクラスの円墳、富士山古墳群、おはぐろ塚古墳、稲荷様古墳、鈴照山塚古墳、愛宕山古墳など、古墳観察と埴輪採集を試みて付近の畑で須恵器片を拾ったことはありましたが埴輪は拾えませんでした。 それ以外に小型円墳が多いのも那珂市の古墳の特徴になると思います。全国で2番目に古墳の数が多いとされる茨城県は、後期築造の小型円墳が数を稼いでくれているおかげでしょう。
さて、この那珂台地にある径30m、40mクラスの円墳、あるいは20mクラスの円墳も含める必要があるのかもしれませんが、問題は大きさだけではなく森戸遺跡と古墳との関係性を考える必要があると思います。今のところ同時期として候補に挙がるのはひょうたん塚古墳群中の前方後円墳が候補に挙がっていますが、その後の古墳が不明と言わざる負えません。付近に後続する前方後円墳がない以上そこにある円墳群に答えを求めるほかないのではないでしょうか。もっとも、多数の視線は那珂台地の古墳ではなく、対岸の久慈古墳群との関係性を重要視しているようですが、そのあたりは次回で私の珍説を。
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