2010年頃から、今は常陸太田市になっている旧金砂郷町を中心としての私的な調査を行ってきました。 高柿地区から出発して、大里、大方と、そして2012年に中野町で「中野冨士山古墳」の発見につながるのです。 そんなわけで、金砂郷地区の隅々まで歩いてきたと自負して、どこに何があるかわかっていたつもりでしたが、まあ、自惚れでしかなかったのです。
画像は、中野町の地元の人しか通らない道路わきにある庚申供養塔です。 この石碑の前を何回も通っているのに気が付きませんでした。 少しへこみました。 目が悪いのか、性格なのか、感性が乏しいのか?。 寒くなったら再度歩いてみましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿