私は小学2年生まで、地元企業の社宅で育ちました。 その社宅群があった近くにある霊園に、この陶輪碑があります。 昭和32年に地元企業が建立。 高台にあるここからは、日立の街並みと海岸線が、平和な風景を見ることが出来ます。
陶輪碑の意味は、日立空襲艦砲射撃慰霊碑となっていて、昭和20年の米軍による日立地区、多賀地区、水戸地区などへの爆撃と艦砲射撃によって亡くなられた社員の人達751名の名前が刻まれています。 当時、子供ながらもその意味を理解していて、この碑を回転させて刻まれている名前に見入った記憶があります。
最近、この21世紀になっても、バカ(プー)は死んでも治らないと言う心境です。
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